今回MMの夜景も平沼ガスタンクもなし

Y野さんから次予定があると聞いとったし、こんな遅なる思わなんだ。この日はとかく風が強くてイタリアンの店から見える通りも旗や木々の葉っぱが揺れまくっとった。天気も悪くなってきたから、本来の予定の縦須賀・・でなくて横須賀行きを諦めて、どこに行くあてもなくて困った。

そこでY野さんの次の予定に同行することにした。
まず横浜線に乗って菊名へ行き、東急東横線へ連絡改札口を通って乗換、普通に乗った。実は鷲、東急初めてなん。来た列車に乗ったら、最近の関東でよくある“231系風”な車両。鷲は関東の各私鉄はあまりに個性が薄すぎて違いがよう分からん。JRも私鉄も似たような車両やし、時刻表は大抵 群青字と朱字の協和企画発行やし、今一食指が動かんから手付かずやったん。
各停で元住吉へ行った。最近高架化された駅舎にはテラスがあり、開放的な感じ。エスカレーターを降りた所に旧駅舎が残っていた。そこから路地裏のような所を縫って歩いた。

その次の予定が鷲が思とったんと全然ニュアンスが違とった。
Y野さんには2年間大変お世話になったし、いい人やからあまりこの後起こったことについては語りたない。ただ、この一件で鷲のトラウマな部分が刺激され、精神状態の均衡が崩れ、疲れがどっと出てしまったのは事実。誤解されそうやから書くけど、Y野さんがなんか悪いことしたんやのうて、鷲の遠い過去にドロドロとしたものがあって、それを思い出して勝手に傷付いただけやから、ほんま関係ないんよ。

その用事が済んで元住吉に戻ってきた。もう日が沈みかけとって、今更横須賀も行ってられんし、今から東京出ても何も予定ないし、取りあえず自分が持ってきたパスネットでY野さんの次の予定地へ向けて横浜へ向かった。色んな意味で疲れたので、Y野さんと喋る時は今まで無理して東京式アクセントを使うようにしてきたが(前職場の汚い『関西弁』がキツく感じていたらしいので)、元の京阪式に戻して会話した。
横浜に着いてからは、何となく百貨店に入って、買物に付き合った。ちょっと手土産に洋菓子を買うてくれたが、この後の予定を考えて丁重にお断りした。すんません。実際この後は動きまくったから、家に着く頃にはぐちゃぐちゃになっとったやろなぁ、この判断間違ってなかったと今でも思う。

百貨店の本屋でY野さんと別れた。鷲はそのまま立読みをしてから横浜一周をすることにした。京急、JR、東急、地下鉄、相鉄と回った。いつ来ても工事しとんねぇ。そこから迷っても仕方ないから、東横線で渋谷に向かうことにした。