日豊エリアは華麗にスルー

仕方がないので、一本後の電車に乗ることにして、銭湯へ向かうことにした。鹿児中の駅裏を歩いた。繁華街とは逆側になるから静かである。鷲は基本的に長風呂なので、次の電車にも乗り遅れかねんので止めといた。風呂屋の前で二人と別れ駅へ戻った。どこか温水洗浄付トイレがないかと探していたが、結局見付からず暇潰しにひたすら駅のエスカレーターで立ち位置調査をしとった。

右空け優勢ながら、夕方に見た指宿枕崎線ホームのようなビタビタの右空けでなく、左右に分かれて二人が乗るシーンも見られた。年配のグループが乗ってきて、後ろから来た若い子が歩いて上がって追い付いた時に左右に年配のグループが分かれた。「中央空け」という全くもって新しい空け方を初めて見て感動した。でも基本的に鹿児島も右空けがかなり浸透しとうらしく、後ろから人が近付いたら左へ避けるのを何回か見た。

再び風呂屋に戻る時に駅ナカの本屋を発見した。しまった。もっと早よに気付いとったらなぁ。
弁当屋ジョイトイさんに夕食を調達してもらっている間に、元最西端さんと共に鹿児島中央駅の窓口で無駄になったと思とった最寄駅から新大阪ターン時の切符を乗車変更しにいった。何とか全くの無駄にならずに済んだ。やっぱりこの辺りに詳しい元最西端さんは頼りになる。

鹿児島中央21:11→南宮崎23:40 宮崎行ワンマン クモハ717-206×2

日豊線鹿児島口は沿線規模を考えると、もうちょっと本数があっても良さそうなのに少ない。
そのせいか鹿児島中央では座れず、立ったまま弁当を食べ始めた。旅行行程メモも取らな思てメモ帳を取り出して書こうとしたが、あまりにP波が激しくて書けませんw

駅に着く度に降車客がいるにはいるものの、なかなか席があくことはなかった。
鷲「次の隼人で大半の人が肥薩線に乗り換えてガラガラになるから大丈夫!」
ジ「それはないwww」

結局国分を過ぎると一段落した。

アナウンスが「次はダダダダダダ、ダダダダダダです」と流れ、ジョイトイさんと二人、「『ダダダダダダ』って何や?」と顔を見合わせて次に止まった駅の駅名表を見た。すると「北永野田」と書かれていた。アナウンス発音良過ぎやぞ。

県境を越え初宮崎。昭和時代の高架駅のかほりがする西都城を通り都城着。ここはなぜか長時間停車があり、一旦改札を出てみた。深夜ということもあって駅前は真っ暗で何も見えず。仮にも諸県の代表駅がこの寂れっぷりて。何か別の時代に来た感覚。でも宮崎県はそれでいい。むしろそこがいい。

南宮崎23:44→取りあえず大分  ドリームにちりん モハ783-17×4

南宮崎も思とったより小さい駅やった。4分しかないので駅の外には出られずで、改札をちょろっと出ただけ。
今宵のお宿はドリにち。初めて783乗った。当時としては画期的な真ん中にドアがある特急車で、こまめな車両設定ができるのはええが、案内が細かくなり過ぎてカオス。○号車のAだのBだのて、最早わけわかめ

宮崎駅周辺も時間が時間だけに真っ暗。疲れが溜まっとったんか、その後すぐに寝た。