熱心さの押し付け

夕方はいつもの如く近所の公民館でバドミントンをした。その中の一人のおばさんから、「お兄ちゃんと組んだら、どこ守ったらええか分からへん。味方やのにぶつかりそうになって怖い。やっぱりローテーションの練習せなあかんわ。」と一気に言われた。更に「シャトルしか見てない」とも。まぁ言うとうことは正しいし、その通りとは思うけどねぇ。元々土曜の自由解放は広く一般の人にしてもらうという趣旨やって、最初の内は近所の奥さんらでぼちぼちなムードでやれとった。殺伐とせず緩過ぎずで丁度ええ感じやったんが、奥さんらが来られんようになって、このおばさんが別に行っとう教室の人やら何やらをどんどん呼び込んで急激に全体のレベルは上がった。だが、従来の楽しむスポーツではなくなってもた。「今度試合あるからペアでやらせて」から始まり、ビニール羽根でなく水鳥羽根になり、インアウトの判定はその人次第になり、何かその人等の為の練習所で、鷲は丁度ええ練習相手といった風な感じになってきた。鷲は平日の運動不足解消を兼ねて、楽しむ為にしに行っているのに、その人はどっかのクラブに入るように強く勧めてきて、一応母は「あの子がほんまにやりたいんはバスケやから入らんと思う。」と丁重にお断りしたのに、「バスケなんて歳いったらできへんやん。バドミントンやったらできるで」と聞き入る様子あらず。鷲はそこまでバドミントンに入れ込んどう訳やないし、ほんまはバスケやりたい。折角ボール買うたのに、やる場所も相手もないから活躍する機会がないだけ。熱心なん分かるけど、どんどん「自由」開放がその人の思惑一色に染まっていくのに、正直不快でならず、息苦しくなってきた。おばさん「アタック№1」世代なん分かるけど、スポ根一筋だけがスポーツやないで。