銭湯の日

いつもはN日(1≦N≦31)の日記を、N+1日の夕方以降に書くというパターンで、何か特徴的な事があればええが、結構前日と当日の記憶がごっちゃになってたりする。
夢の中で市街地と近郊住宅地の中間といった感じの町を運転していた。同乗の家族に「どこで曲がるん?」と聞いても中々返事が返ってこなくて、どんどん町外れに向かってしまう。ここが曲がるとこやろかという道路やロードサイド施設の前を通る時は、なぜかデジタルビデオの早送りのように急にその先まで飛んでしまう。この高架橋を渡ったら市街地から完全に離れてまう、どうすんのー?というとこで目が覚めた。変な夢やわ。
母から今日はひんやりしとうから長袖着て行き言われて今シーズン初の長袖登校。ただ1マイル歩く内に暑なった。今日もパワーポイントで、デザインプレートやらスライド目次の設定の仕方やらを午前中にした。午後からはクリップアート、ワードアート系に入った。休憩時間にM田さんと前職場について長々と話した。会う人会う人鷲の前職場の異様さに驚かれる。最近は家でもタイプ練習しているせいか、腕が完全に筋肉痛で辛い。左小指・薬指は硬直して動き悪いし、新記録狙うとほぼ痙攣したような感じになる。

帰りしどこも寄らんと家へ直行した。すぐに洗濯物たたんで、部屋で電オル弾いてJR東海のパンフ整理に着手した。その後しばらくして父が帰宅したので夕食になった。入浴後録画したままになっとった映画を見た。感動したのでその勢いのままブログ更新をする事にした。

映画の感想

ルディ/涙のウイニング・ラン(1993 原題:RUDY)」⇒ショーン・アスティン主演
あらすじ
実はこの映画を見るのは2度目になる。前回も感動してええ映画やったからまた録画して見てみた。
ルディ・ルティガーの実話である。彼の父や兄弟はノートルダムのアメフトファンであり、彼自身もずっと憧れていた。高校での最後の練習を終え引退した後、ノートルダムへの進学を希望するが周りはそんな彼を馬鹿にしていた。その後地元の工場で働きながらノートルダムへの学資金を貯めていたある日、唯一ルディの夢を応援してくれていた親友のピート(クリストファー・リード)が事故で亡くなってしまう。
ルディは夢を目指してノートルダムに行く。取りあえずホーリークロス大学に入学して、成績が優秀であれば編入を認めるという条件をのむ。
彼は、ノートルダムのスタジアムの用務員フォーチュン(チャールズ・S・ダットン)に頼み込んでスタジアムの整備を手伝いながら編入へ向けて勉強に励む。ここから先は実際の映画を見られた方がいいと思う。

感想
鷲は、スポーツ映画、特に実話ものには弱い。冒頭部の「高校最後の練習」として下級生が両脇で拍手をしている花道を突進して、監督にタックルして引退していくシーンでもうかなりキテいた。
彼が努力しても中々編入できないもどかしさ、悔しさが見ているこっちにも伝わってきた。ストレートでなく、一度社会人になってからの進学なので、年齢的な焦りというのもあったと思う。体格に劣り、スピードやテクニックが突出していた訳でもない彼が、心に残るラストシーンに至るまでにずっと他の誰よりも勝っていたものがある。それは、「夢への情熱」。
あらすじで「ここから先は〜」と書いたのに反してしまうが、彼は大学最後の試合・・・・しかもそのラスト10秒程しか出場できなかったにも関わらず、そのプレーは人々の心に深く刻まれることになった。逆に言うとそのたった10秒の為に彼が耐えてきた事柄は、映画では描ききれない鷲の想像を絶するものがあると思う。信念をしっかりと持ち、夢へ向かって不屈の精神で望む姿は何度見ても心を揺さぶられる。
ストーリーは大変素晴らしい(実話やが)が、それをジェリー・ゴールドスミスの音楽が更に感動を増幅させる。

以前「ベストショット」という映画の情報を欲しいと書いたが、この映画について調べていたら答えが出た。本作品と同じデヴィッド・アンスポー監督、ジェリー・ゴールドスミス音楽で、タイトルは「Hoosiers(Best Shot)<邦題:勝利への旅立ち>」。これもまた実話に基づいた映画で、ラストに感動した。ただ、ジミー一人が突出していて、彼一人で勝てたともとれるのはちょっと良くないが、バスケをやっとった人なら「一人が別格でも勝てない」ことぐらい分かるからええというばええわな。

よう、ネットの映画論評で点数やランキングで映画を「決め付け」ているページが見受けられる。個人個人がその映画を見てどう思おうが鷲の知ったことではないが、映画を学校のテストのように「数字」で語るのは間違っていると思う。特に本作品はそういった点数以上の価値があると思う。映画を観る際にそういうサイトの点数を参照しない方がいい。


ここからは語りモード

鷲は中高とバスケをやっとった訳やが、他の部員とけた違いに体力がなく、テクニックもなかった。中学ではずっと試合には出して貰えなかった。一度怪我人続出で足らなくなったかなんかで数分だけ「使ってやった」的な出されかたはしたが。全員出すと先生が明言した試合すら「忘れとった」と出されなかった位ひどかった。
そんな中学の引退試合で鷲はレギュラーに入れなかった。3年やからとお情けでベンチには座らせてくれたが、ユニホーム着られなかった悔しさは今でも残る。

試合相手は今まで圧勝していたT中学。しかし、審判の先生が明らかにT中学に偏ったジャッジをした為、こっちのスタメンに退場者が続出。ファールでないのにファールがとられ、相手のトラベリングはスルー。スタメンの子は泣いていた。結局その試合を負けて引退した。鷲はT中に負けたんも悔しかったが、それ以上に「鷲はあの状況をどうすることもできなかった」ということの方が辛かった。

みんな引退した後で鷲は下級生の練習に混ぜて貰おうと顧問の元に訪れた。すると、
「ひたち野ええんか?今大事な時期やろ?高校に行って頑張ったらええやんか」となだめられた。
鷲も高校に託すことにして受験勉強を始めた。そして憧れの高校に合格した。

高校の鷲の代はスター選手がおらず、人数もそんなに多くなかったから、「ひょっとすれば」という期待があった。鷲は頑張ったが、コーチの言葉にやる気を殺がれてしまう。
「おお、上手いやつおらんな。中学で試合経験ある奴を使うことにする」と言い放った。
ちょっと待てや。中学で「お前は下手くそやから」と試合形式の練習すら参加させてもらえなんだのに、経験をいつ積めというんや。腹が立った。更に許せんのは、練習試合で珍しく出して貰えた時のこと、鷲はここぞとアピールする為にも頑張った。そして相手の突進に対しディフェンスを頑張った・・・時に笛がなった。鷲は一瞬ファールしてもたか思たら、相手のオーバードリブルやった。その直後交代させられた。コーチ曰く、
「お前は(試合に)参加しただけや」と冷たく言い捨てた。
鷲は完全にキレた。なんぼ努力しようがガッツ見せようがそんなん関係なかった。

結局高校でも、準備体操や1対1の基礎練習以外の試合形式の練習や試合はことごとく参加させてもらえなかった。鷲は当時兼部しとったからもう一方の方へドンドン重心を移動させた。
鷲は成績が悪かったので毎年冬になると学年を上がるべく、休部して補習を受けていた。3年に上がってから兼部の方は人数が少なかったこともあり復帰したが、バスケ部は復帰せずに終わった。

鷲は逃げたのだ。怖かったのだ。中学の時の二の舞になるのを恐れたのだ。

高校の鷲の代は弱小チームで公式戦では一勝もできなかった。そんなチームでまたしても「成す術も無く目の前で負け行く」姿を見なければならないかと思うと、何の為に高校に託して頑張ってきたのか分からなくなるから逃げた。
その判断は当時としては正しかったと思う。当時の自分を責める気はさらさらない。
大学は体育大学とはつかないが実質はほとんど体育大学で、部活どころかサークルでも入る連中は全国大会常連校卒のやつばかり。鷲はさすがにもう嫌やと入部を諦めた。

しかし、スポーツの話題になるとどうしても不完全燃焼どころか火すら付くことなく終わった、鷲の中高生時代を思い出してしまう。その頃の思い出がいつまでも鷲を苦しめている。

まだ、「少し頑張れば全盛期を取り戻せる」大学の時と違て、今や全盛期の記憶は鮮明だが、もう当時の体力を取り戻すのは不可能に近い歳になってしまった。
ふと鏡の中に写る自分を見て思うのである。
「もし、あの時もっと・・・頑張っていたら、諦めなかったら・・・。」と。
時計の針をあの時まで戻せたら、何ができるだろうかとも思う。

鏡に映る現実は容赦が無くとても残酷だ。辛い。